ソーシャル・サポート

心療内科ケーススタディプライマリケアにおける心身医療」という本を読んでいる。その中に、ソーシャル・サポートということばがたびたび登場する。


心理学のキーワード辞典によれば、ソーシャル・サポートとは「家族や配偶者、友人、同僚、専門家など、故人を取り巻くさまざまな他者・集団から提供される心理的、実体的援助」のことである。


このようにいうといかにも難しそうだが、

「職場におけるソーシャル・サポートとは、休み時間に同僚と会話できるか、仕事中に同僚と話すために持ち場を離れることができるか、そして上司が食事やコーヒーを誘ってくれるか、など気遣ってもらえるかについての内容である」

と言えば、いかにも、他愛のないことのように思える。


ソーシャル・サポートを提供してくれる一群の人たちを、ソーシャル・サポートネットワークと呼んだり、コンボイと呼んだりすることもある。


ソーシャル・ネットワークを持ち、ソーシャル・サポートを受けていると、心身症の発生頻度が下がり、また予防効果も高いという。


また、中年期の心理的危機に対処するにも、ソーシャル・サポートが重要である、と著者は述べている。中年期の不安症状への対処として有力であり、心因性疾病の頻度が少なくなる。


ただし、「より質の高いサポートを多く受け取るには、以下に自らが他者に与えることができるかが大きな要素になる」とある。


なるほどねぇ。。。まったくそうだよなぁ。。。と納得したが、ちょっと待てよ。。。


こんなのあたりまえじゃない!?産業・組織心理学や心療内科で扱うと、このような難しいいかにもえらそうな話しになるけど、ボクたちが子供の頃、こんな助け合いというかおせっかい、日常に溢れてたんじゃない?


隣りのおばちゃんがおやつをくれる、近所のおっちゃんが野球のコーチをしてガキどもを束ねてチームをつくる、いじめられっ子には必ずそれを助ける子が出てくる、社会のどこかで誰かが、一人ひとりの子を見ていた。


会社でもそうだった。一人ひとりの部下や若手の顔を思い浮かべながら、「あいつはねぇ・・・」と酒の肴にし、翌日会って、ちょっと話したり、聴いたりしていた。


一人ひとりをよく見ていたし、ボクも見られ気にされていた。


むかしはよかったなどというつもりはまったくないけど、こんなこと、何気ない日常の生活の中に会ったよなぁ・・・と思う。


今の時代、ソーシャル・サポートという学術用語を使わなければ、このような人間関係を説明できない社会になってしまったんだろうなぁ。。。むかしはそこらじゅうにあったものが今はない。だから、今は、意図的につくってやらなければならない。

そのためには、やはり、学術的なことばが必要なんでしょうね。おかしいと言えばおかしいし、おもしろいと言えばおもしろい。世の中、変わるもんですね!