幼少期の思い出

2015年にSavickasの翻訳本を出した。その中に「幼少期の思い出」というのがある。幼少期の捉われの中に、それはトラウマであったりするその中に、大人になった今の自分の進路選択や職業選択の源が眠っているという(Savickasはそのようには言ってはいないが、Savickasの言わんとする所をいま出てくる言葉でいい変えてみた。)


2015年の9月にCei Davis LinnからClean Languageを習った。幼少期に刻み込まれたトラウマ体験を癒やすセラピーだ。幼少期を媒介してSavickasとCeiが繋がった。自分の幼少期の思い出…ってなんだろう…と気になり始めた。


この不定期日記は2014年3月22日に書いた記事を最後に2015年は記述無しであった。かなり長い間何もしない期間が続いた。新たに再開したのが2016年10月10日、macの登場だ!


この空白期、もし書くことのモチベーションがあったら、おそらくトラウマや幼少期のことを書いていただろう。しかし、幸か不幸か何も書かなかった。そして、今日、なんとなく、っていうか、理由はあるけど…幼少期の思い出として書いてみたくなった。。


僕の幼少期の思い出は、最もインパクトがあったと自分が感じているのが、広島体験だ。5歳半、つまり幼稚園年長後半から7歳まで、小学2年生終了までの期間であった。


昨年5月、広島に行った。2泊3日の予定で広島に滞在し、歩き回った。半世紀を超えて、小学校の頃遊び回った場所を訪ねた。小さく狭かった…滞在中、夕食はすべてお好み焼きを食べた!広島の頃の思い出、手続き記憶が身体感覚として蘇り、今の自分ができた源泉の1つを感じることができた。広島体験の話は、いくつかの語りの場で何度か話をして、自分の中に実感としてそして新たな成長した大人の記憶を確かなものとし、残った。


小学校3年から山口に転校したが、広島体験をもとにして感じてみると、その小3はけっこう暗かった。そしてその1年間が、今の僕を作った。大げさに言えば暗黒の1年だったのか?おそらく、そうでもあるし、そうでもないのだろう。ここに遡ってみたい気がしているが…しかし、それはまた次の機会だ。


最近、金子みすゞの詩にはまっている。昨年から、萩や長門、下関を山口を長く離れた山口県人として観光客として訪れ、そのよさにいささか驚いている。山口ってこんなにいいところだったの?って感じで。18歳まで、日常(ordinary)であった山口市山口県が、新しい気づきに満ちた非日常的(extraordinary)な体験の場所に変わった。そして今、一番行きたいのがみすゞさんの詩の影響もあって、仙崎である。


一昨日、「みすゞと雅輔」を読み始めた。この本で恥ずかしながら知ったのだが、みすゞさんが詩を書いたのは下関だということであった。下関…うぅ〜ん、しばらく自分の中から忘れ去られていた所。広島に行く前、幼稚園に上がったかその前か、僕は下関、というか、当時の長府に大好きな祖母がいて、夏休みに遊びに行くのを大いに楽しみにしていた。長府の遊園地、長府の海岸、砂浜や磯があったような記憶、本当に好きな場所だった。


ああそうか…長府か…長府も幼少期の思い出だよなあ…急に長府に行ってみたくなった。


下関にはみすゞ記念碑もあるようだ。これはこれは行くしかないでしょ!何かの手続き記憶が残っていそうだ!