新しい年に感じたこと

2012年もまた、穏やかに明けた。


年末年始は、誰もが、来るいい年を願い、大晦日の興奮を引きずりつつ、何となく明るい、あたかもそうなったかのようないわば、根拠のない期待感を持ちながら、そして新年を迎える。


ボクも昨年末、いつものように山口に戻り、大みそかは、まぁこの年代は何となく紅白を見て、近くの神社に初詣に行って、年が明け、そして元旦になって、平穏無事に、新年が始まった。


2010年から2011年へ明ける時も、たしかにそうだった。誰もが、明るい2011年を願い想い、そうなることを信じていただろう。でも・・・違った。想像を絶することが、数多く起きた。


今年の年明けは、何となく、違った。お正月の浮かれ気分の裏に、何か、緊張感、不安ではないけれども、ちょっと身構えるような、よくいえば、気を引き締めるような、何かを感じた。今まで経験してきた年末年始、あえていえば、それは幻想だったんだな。。。と


今年は、これまでよりもう少し、しっかりとした意思と意図を持ち、意味を感じながら、一年過ごしたいな、と思った。


ところで、最近、幻想にちょっと似ているが、虚像という言葉がよく意識に上ってくる。


昨年11月にメガネを失くし、年末に作りなおしたのだが、あらためてメガネをかけると、まぁ、あたりまえだが、よく見える(笑。)特に、年末の都内はイルミネーションでとてもキレイだ。ある日、東京タワーの横を歩いた時、ほんと、息をのむほどにキレイに感じた。高層ビルの照明が美しい。光に溢れた大都会の夜、ボクは、そんな雰囲気が好きだ。


しかし・・・その像は、メガネによる矯正されたものだ・・・と突然思った。昨年来、メガネなしで歩くようになり、近眼なので当然景色は、まぁボケている(いちおう、危険はない程度に見える。)それが、自分の現実であり、いわば、実像だ。メガネで見ている像は、虚像かもしれない・・・と「虚像」という言葉がフッと浮かび上がった。


地震津波で多くが破壊され流され、原発事故で食の安全が脅かされ、何気ない普通の日常の日々が奪われ、そして普通ではなくなった。原子力発電の安全神話が吹っ飛び、多くの専門家の権威と信頼が失墜した。すべてとは言わないが、もしかしたら、私たちは「虚像」を見ていたのかもしれない。


ほんとうに大切なもの、それが何かを言葉にするのはむずかしいけれども、そこに意識を向けずに、私たちは虚像に目を奪われていたのではないだろうか・・・


昨年来、Sunny Hansenを読み続け、その勢いで、嗜癖の話し、最近は、focusingを通しての親密性(intimacy)やSpiritualityの本をよく読むようになった。で、思った。本とうに今こそ、Spiritualityの回復が必要なんだろうな。。。と


今年は、「虚]ではなく「実]に生きたいな、と思う。いつもと、ちょっと違うfelt senseの2012年お正月である。ちなみに、今日、一つ歳が増えました。うぅ〜ん・・・ですねぇ(笑。)