怒りのコントロールに疑問

2日前にNHKの首都圏版ニュースを見ていたら、教育現場での体罰防止策の一環として教師を対象とした「怒り」についての研修会が開催された、との報道があった。

30代か40代前半の講師が、多くの受講者(教師)の前で、「怒り」の要素を板書しながら説明していた。うぅ〜ん、どのような理論基盤を用いているかは知らないが、心理学のどこかからもって来たんだろうなあ…

で、反応したいのは、受講者のコメント。いわく「怒りをコントロールできるようになるといい。そして、理性を使って考え、理性的に対応できるようになるといい」

ホントにそお?????ボクは、いやぁ〜違うでしょ、と言いたい。

「怒り」をコントロールして理性的に対応する、ということはすなわち、「怒り」のエネルギーをどこかに押し込めるということ。「怒り」の感情を抑圧するということ。その「怒り」のエネルギーの行き場はどこ?ずっと自分の内側に籠ったままじゃない?それじゃ、いつかまた別な場所で別な状況で、爆発するかも…

「怒り」への対応は、まず、自分のなかに「怒り」があることを認めること。次にその「怒り」がどんな「怒り」なのか、内側で感じてみること。他にどんな感情を含んでいるか、どんな意味があるのか…などなど。また、そのような自分の「怒り」をアサーティブに伝えること。

あえていえば、このようなプロセスを進めることが「コントロールする」ということだろうと思う。このプロセスを理解し自分でできるようにするすることこそが、「怒り」への最も効果的な取り組みではないだろうか?


このプロセスの進展によって「怒り」のもつマイナスの強烈なエネルギーがプラスのエネルギーに変わって行く。そしてその「怒り」に含まれていた意味が明確になり言語として伝えられる。教室における教師‐生徒の関係性が変化していくだろう。

「怒り」をコントロールして理性を使う。一見、よさそうだが、なかなかうまくはいかないと思いますね。

フォーカシングが教育現場でもっと広がって行けばいいなあ、とつくづく思った!