narrative therapyとNatalie

先日、縁あってナラティヴ・セラピーの国重浩一さんの話を聴く機会があった。その中でおお!っと思ったこと3つ。


①David Epstonが大阪で行ったワークショップの導入で、ウィトゲンシュタインの"Language is the prison of mind." 〜言語を超えることはできない〜という言葉を引用したそうだ。


これを聞いたとき僕の中に浮かんできたのは、NatalieのSyntaxの章に書いてあった、英語と日本語の世界観の違いについて。


例えば、I see a dog、と言ったとき、英語においては、世界の中心は"I(私)”であり、"I"が"dog"に"see"という動作を作用している、言わば、”I" centricである。"I"と"dog"は別物である。一方、日本語では「私は犬を見る」というが、これを英語に直すと"I dog see"となる。


おぉぉぉ、"I"と"dog"が不可分になり、「私」が犬を見ているとき、「犬」も私を見ている。両者が対当で不可分である。われわれの生活が言葉で成り立っているという前提において、我々は言語のSyntaxに囚われている。日本人は日本語のSyntaxから逃れることはできない。Wow, Natalie!!


Michael Whiteが"Exoticise the domestic"と言ったとか?慣れ親しんだものを見知らぬ異国のものにする。これ、Natalieの、ordinary/extraordinaryで言っていることと似てるなじゃい。他に見るextraordinaryは、その人にとってはordinary、自分のordinaryは他者から見たらextraordinary。自分のordinaryを他者の目で…のようなニュアンスだったと思う。何だか似ている、Wow, Natalie!


scaffolding conversation、足場作りの対話、とDavid Epstonが言った、とか。でもでもでも、Savickasも言ってるよ、Scaffold questionsって。これが5つの質問だよ。で、そもそもこの言葉を最初に使ったは誰?ヴィゴツキー!おぉすごい!


で、よく考えてみると、Writingって、一種のナラティヴ…だよね!